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病院が通報した

向精神薬

★病院が通報したE君――ケース⑥

 母親はE君を母乳で育てていたが離乳食があまり進まず、身長も体重も同年代に比べかなり少なかった。定期検診の際には、母乳ばかり欲しがり固形物をほとんど食べないE君に栄養不足の恐れがあると指摘された。心配した母親はすぐに病院にE君を連れて行き診察を受けた。
 診察の結果、E君は栄養不足が認められたために入院して治療することとなった。母親は幼いE君を不安にさせないように、E君を毎日見舞っていたところ、病院からは「忙しいのでこんなに頻繁に来られると迷惑だ」と見舞いの制限をかけられてしまった。母親はやむを得ず病院の言うことに従い見舞いの回数を抑えることにしたが、E君の栄養不足は一向に回復しないばかりか、ますます悪化して様子がおかしくなっていく。
 これに対して母親が病院側に説明を申し入れた途端、病院は母親に説明を一切しないばかりか、「母親が命の危険のある子どもの治療を拒否し、半狂乱になって無理やり退院を迫っている」と児童相談所に虐待通報してしまったのである。そして児童相談所は母親からの説明や事情を聞くこともせず、病院の言うことのみ一方的に聞き取り、そのままE君を一時保護すると共に、E君と両親の面会を禁止してしまった。
 E君の両親は児童相談所に対して、自分たちが病院の治療を拒否したことなど一度もなく、退院を無理やり強要したこともないことを何度も説明したが、児童相談所は一切耳を貸さず「虐待の自覚のない虐待親」と決めつけた。それどころか、「自分の虐待を認めない限り子どもさんとは会わせられない」と脅迫してきた。
「自分たちが自分の虐待を認めない限り、子どもを返してもらえない」ということを悟った両親は、自分たちの身に覚えのない虐待を、児童相談所に言われるがまま認めることにした。児童相談所に逆らわなかったために、両親はE君との面会だけは認められるようになった。
 その後、両親はE君が「保護」されている施設に頻繁に通い、施設職員とも打ち解ける仲となった。そうした献身的な母親の言動について施設職員は「あなたたちがE君を虐待しているなんて客観的に見てあり得ない」と信じてくれるようになり、児童相談所に対して「E君をこれ以上保護する必要はない」と意見を進言してくれるようになったが、それでも児童相談所は一向にE君を両親のもとに返そうとはしない。
 保護後、約3カ月もの間、母親は毎日、施設に通い続けたが、その間に児童相談所職員が施設に訪れることは一度もなかった。

 このケースはほぼ間違いなく医原病であり、病院の不都合を隠蔽するために児童相談所が用いられたと言ってよい。
 皆さんよく考えてほしい。本当に子どもを虐待している親なら、虐待がバレかねない健診にわざわざ行くだろうか?
 確かにこの親にまったく責任がないわけではないかもしれない。周囲の意見を参考に乳児の食事について親がもっと学んでいれば、このようなこと自体は起こらなかったかもしれない。
 しかしだからといって、この病院と児童相談所の捏造、子どもと両親を会わせることもない拉致が、許されるというのだろうか?
 驚くべきことに、このケースの児相職員は、両親に対して、
「お子さんに対して一生懸命なことはわかりました」
「でも、児童相談所が保護したほうがよいと判断しているので、それに逆らわないように」
「親御さんには精神科の診察を受けてもらい、カウンセリングを受けてもらう」
「大人しく指示に従っていれば悪いようにはしない」
「お子さんの精神状態を心理士等に判断させ、大丈夫なようなら一時帰宅を検討する」
 などという言葉を発している。
 両親に精神科の受診を指示しているのはなぜか? 私は医師としてこの両親が精神的におかしいとはまったく思えない。もしかしたら未熟な部分はあるかもしれないが、それは精神病ではない。大人しく指示に従わなかったらどうするつもりなのか? 1歳の子どもの精神状態を心理士は診断できるというのか? もちろんそんなことできるはずはない。
 結局このケースでもそうであるように、今の日本においてはウソであろうがねつ造であろうが、権威や権力サイドがAといえば、BであったものもAになるのである。この国は民主主義でも自由主義の国家でもないのかもしれない。

向精神薬
★児童精神科医とはなんなのか?

 児童精神科医とは何なのかということを、本質的に考える必要がある。
 まず児童精神科医に限らず精神医学という総体について言えることだが、精神医学は人を癒したり問題を解決してくれるために存在しているわけではない。これはほとんどの日本人が知らないために、良い精神医学とか良い精神科医とか良い児童精神科医がいるのではないかという誤解を抱くことになる。精神医学の目的は常に支配、差別、虐待、迫害、監禁、廃人化、殺人などに代表される行為であり、それは現代でも昔でもずっと同じなのである。この当たり前の歴史的、思想的事実を日本人が知らないことは、児童相談所問題でも悲劇の誘因となっている。
 そもそも児童精神科医が使うコンサータやストラテラなどの薬、メジャートランキライザーや抗うつ薬などは、各国で子どもについて厳しい規制がなされている物質である。
 しかし児童精神科医はそうしたことを意に介さない。彼らは自分だけの勝手な非科学的根拠によって、児童に複数の精神薬を投与する。これは人道的観点からも科学的観点からも決して許されることではない。
 その上で児童精神科医は金儲け、子ども支配、廃人化などのために精神薬を子どもに投薬していく。
 投薬する理由は大半が発達障害、統合失調症などというでっち上げの病名に基づき、レッテルを張り、ロボットのようにコントロールしていくのだ。精神的諸問題が薬などで解決するはずがない、という子どもでもわかる概念を否定し、児童精神科医や施設職員に都合のよい「トラブルを一切起こさない」子どもとなるように仕立てあげていく。
 たとえ本当に虐待されてきた子どもでも、それをよくする方法は薬の中にないことくらい、だれにでもわかる問題である。虐待されてきた子どもたちが施設に放り込まれてさらに薬を飲まされるとなれば、それ自体が虐待といって過言ではない。児童精神科医とは、そういうことを日常的に行なっている種族なのだ。

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