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児童相談所はどうあるべきか?

内海聡

★児童相談所はどうあるべきか?

 この児童福祉や児童相談所問題の話をするときに、まず最初に考えておかねばならないのは、では本当に虐待されていて死の危険に瀕している子どもをどうするのだ?という問題である。
 この本が訴えたいのは決してこのような親を許せということではない。むしろ私は厳罰に処していただきたいと願っている。ただこの本が訴えたいのはそうではない親が非常に多数いて、冤罪をかけられているという実態、何よりたとえ虐待していたとしても、犯罪者レベルの扱いはされてしかるべきだという基本的人権の問題、そしてそれを判断し法的手続きや対処を行う過程が、あまりに杜撰であることを述べているのである。

 殺人や強盗殺人の犯罪者でさえ面会や一定の権利を与えられているのである。虐待と認定された親の権利はまさにそれ以下であり、それが冤罪となるとこれは悲劇以外の何物でもない。

 多くの人が、児童相談所を責めることは本当に虐待されている子どもを救うことができなくなる、という意見を出してくる。これはお門違いも甚だしい論理である。すでに述べてきたように虐待が何であるかも答えられずまともに人間的対応もできない、監査もなく指導組織もなく世間の目もなく、立場として必然的に上に立ってしまっている児童相談所が、今のままであるからこそ、本当に虐待されている子どもを救う確率は減ってしまうのである。

 彼らに自分の罪を気づかせ、首に鎖をつけ、世間の目に曝し、本当にためになるシステムを構築し、子どもを救うための組織にしなければならないのだ。そうなれないなら児童相談所など潰したほうがましである。
 これは検察や警察を代わりにして考えてみればよい。検察や警察がだれの監督もなく、メディアの目にさらされることもなく、やりたい放題やっていれば戦前の軍国主義に逆戻りしてしまうと、皆さん思うのではあるまいか? であるからこそ彼らには多くの人の目が注がれ、彼らの権力の肥大化を阻止するいくつものシステムが存在し(といっても機能しきれてないが)、警察や検察の冤罪はこれまでもこれからも少なくなるように市民から求められているのである。もちろんこの世から冤罪が完全になくなることはないかもしれない。しかし冤罪を作り出すことがわかっているシステムよりは、それを改善したシステムで動かしたほうが、市民にとっては大事であると思う。

 今、児童相談所問題に国民が目を向けなければならないのは、それくらいシステムが狂っているという現実なのである。

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