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児相問題の本質という問題

いつ書こうかとも思っていたが、頃合いなので書いてみる。

それはつまり児相問題の本質という問題だ。前述したようにこの問題を体罰の問題とか体罰是非の問題とか、大人側の都合の問題に置き換えるニンゲンしかこの世には存在しない。
はっきりいってこんな問題はどーでもいい枝葉問題であり、本質をついているとはいえない。

私自身は体罰完全否定派ではない。積極的な肯定派でもないが、仮に子供が犯罪を犯したなら、私はその子の頬をはたくであろう。これはある意味において立派な体罰である。そのような犯罪を犯してしまう子供になったのは親である私の問題だが、その体罰とやらで子供に恨みを買い、責めを負うというのならそれはまた当然のことである。私もこれまで社会的にいう悪いことをしなかったわけではない。今は完全な悪童だがもう少しかわいい時期もあったものだ。その時にゲンコツを食らったことは当然あるが、今にして思っても自分が悪いことをしたときのそのゲンコツには感謝している。昨今の教育界や柔道界の話題を見ていて、全くアホな話だと思ってみている。

しかしそれは積極的な肯定派という意味でもない。体罰を大人側の理屈によって肯定していくことは、それはそれで問題あるのは当然である。つまりこの問題に完全なる正解などあるわけもないのに、ここでもまた「正の不存在」を無視してあらゆる人間が、自分が正しい、自分が間違っていないということばかりを主張する。この風潮は精神医療問題でも食業界の問題でも何一つ大差がない。全くニンゲンというのはどこまで愚かな存在なのか?

児相問題の根幹は体罰なんぞどうでもいい問題である。その本質は国家犯罪、行政による拉致監禁、児童の人身売買、そして司法の完全破綻と隠蔽いう、体罰の有無なんぞ通り越した問題である。これを体罰は良いだの悪いだの、自分は正しいだの相手が間違っているだの、あらゆる人間が自己主張と正当化しかしないのは要するに全員アホだ。それは私が著書の中で協力して頂いた人たちでさえそうである。体罰問題の是非は本質的にばかばかしいことであり、それでも彼らに協力する理由は、彼らがこの「児相問題の本質」と向き合って戦っているからにすぎない。

キチガイ医に言わせれば世界中の大人は皆子供を虐待している。だからあらゆるニンゲン達に、本質的に何もいう権利はない。体罰は絶対していないので私は安心なんてニンゲンは、自分が知らぬ間にどれだけ自分が子供を虐待しているかにさえ気付かない。簡単にいえばワクチンを投与することさえ立派な虐待ではないか。ワクチンの真実を知っても、他人の子供を助けていなければ、それも他人の子供を虐待しているのと本質的にレベルは変わらないではないか。そんな話題はこの世に何百何千とあり、その話題のほとんどを世界中の大人は無視しているかしょうがないとして放置している。そして正当化を繰り返す。

ニーチェイズムが基本であるキチガイ医からしてみれば、体罰問題なんぞの超枝葉話はどーでもいい問題であり、世界中の大人は虐待を繰り返しており、本来何も口にできる資格などないニンゲン達である。だから言う、何もしてない大人達、早くみんな死んでください、あなた達は子供にとっても地球にとっても、最高に迷惑でウザい存在です。

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