★検察・警察を上回る、児童相談所の強大すぎる権限
南出 二番目に、児童相談所が体罰虐待の区別さえできてないのに、あまりにも過大な権限を与えられすぎていることがあげられます。
通常、刑事事件では、嫌疑があるならば令状主義をもって身柄を確保する。事前事後に公正な裁判所がチェックして、事前チェックと事後チェックが必ず入ってきます。警察・検察の一存で逮捕するなんてことはできません。
ところが児童相談所が行なう、児童福祉法33条の一時保護というのは、なんのチェックもなしに、児童相談所の一存で一時保護を発動して、子どもを連れ去って行くことができるのです。このことに関しては、さきほど松島さんが言ったように令状主義はまったくとられていません。法律には、児童相談所の所長が必要と認めるときと記されていて、「必要と認めるとき」などというのははっきり言って理由がないに等しいのです。
内海 個人の主観、感情や感覚によって、その人のサジ加減一つで「一時保護」が可能になるわけですね。
南出 「これこれこういうわけだから、これで一時保護したほうがよいのではないか」というように、第三者機関に図って許可をもらうとかなら、いいですよ。
ところが、それがまったくされないということが児童相談所の権力の肥大化を促進し、増長させているということです。
過去に検察・警察の保護拘束については権限が拡大しすぎているとして批判する人がたくさんいましたが、そういう人こそこの児童相談所の一時保護の制度がエゲツナイ権限を児童相談所に与えていること、乱用が防げないこと、事前チェックも事後チェックもできないことに声をあげなければいけない。しかし、だれもあげない。
内海 児童相談所の問題がアンタッチャブルになっている。
南出 その話と関連してきますが、たとえば警察の中に不当逮捕が無茶苦茶起こるかというと、起こらないシステムになっている。警察の場合は捜査予算が一定の額に限られていて、逮捕なり捜査なりはその予算の範囲内でやり繰りしないといけない。ヤタラメタラ逮捕したり勾留したりすると、手間ばかりかかって全体においてバランスを欠くことになるので、予算制度の中では不当性があまり問題になるような逮捕を減らすという、予算的制約がかかる。
ところが、児童相談所の一時保護の場合は、まったく予算的制約がなくて、むしろ一件一時保護をすれば、それに応じて実際予算がつくわけ。一時保護所に預けることで一ヵ月一人の児童をやると40万くらいのお金がつくから、それが一時保護を増長していくという予算システムになっています。そういう予算システムになっておることを予算的にもチェックできてないという問題もあるわけです。
さらに児童相談所自体に専門能力のある人がほとんどいない。
児童相談所といったら中央公務員の出世コースからいったら相当外れてるところ、言い方は悪いけど掃き溜めみたいな組織で、しかもそういうところに人事異動の中でたまたま来た人が着任する。児童相談所に勤めているといっても、もともと教育や子ども保護のために熱意があるというわけではなくて、ただ単に組織内の人事異動の結果にすぎないわけ。
内海 素人が強力な権限を持って、保護も決められてしまうということですか?
南出 そうです。もう一つ関連してくることは、一時保護と称してますけど、この一時保護が全国的にものすごく長期化しています。「一時保護」ですから、1ヵ月か長くて2~3ヵ月が普通だと思うじゃないですか。ところが松島さんの場合は、ここまで5年に渡る。それはもちろんじふこう(?)28条措置請求がまた更新されたという結果もあります。だけど実際のところ措置請求されるまでの間というのは二ヵ月から何回か更新した後にそういう措置請求がとられるということ、措置請求をとるまではいくらでも更新できるわけね。一時保護で5年引っぱっても違法ではないわけ。2ヵ月ごとにこれ更新して、28条の措置請求をしなければならないという義務付けもない。そうすると当然、一時保護がいくらでも長期化します。
さらにいわゆる面会と通信の制限がある。法律(12条)では「(児童との面会・通信を)全部または一部を制限することができる」と書いてあって、これは言葉からしておかしい。全部制限するのはふつう「禁止」と言います。
内海 (苦笑)笑ってすみません。
★国家賠償訴訟を起こした理由
南出 「一部制限することができる」、あるいは「特別な状況においては禁止することもできる」こういうふうに書くならばいい。ところが禁止する場合、つまり全部を制限するのも一部を制限するのも、その要件的なものは児童相談所、養護施設の勝手な判断に委ねられている。
一時保護の長期化と面会と通信の全部制限、つまり禁止によって何が起こるか? 完全隔離です。つまり、家族との完全分断、だからこれ拉致です。
私が拉致という言葉を使っている意味はそこにあるんであって、単に子どもを取られたから拉致だと言ってるんじゃなくて、実質において完全隔離になっているのです。
刑務所の場合は親族の面会ができるんですよ。例外的に刑務所内の懲罰を受けたというような形で面会が停止されることはあるけれども、面会禁止措置というのは基本的にはありえません。ところが児相の場合は、一時保護、あるいは養護施設に措置される場合は完全に面会を阻止、通信を阻止します。電話も手紙もダメだし、それから安否情報も知らせてくれない。刑務所以上の、完全な人権侵害、親権侵害じゃないですか。
だから、今まではみんな行政に対して行政訴訟を起こすという手法をとってきました。この松島さんの事件だって僕も初めはそれを考えました。ところが、行政事件というのは99.9%、要は完全に負けるんだよ。行政側が99.99%くらい勝つんです。
特に家庭裁判所は児童相談所の言いなりになってしまっている。そういう状況の中で行政処分の形式論だけで議論してもなかなか難しい。
そこで「親権」という親の権利が侵害されているというのを基軸にしました。つまり行政的な形式的な不備はないにしても、完全隔離するというのは親権の剥奪行為ではないかという論理で裁判をすることにしたわけです。
親権の停止、親権の剥奪というのは民法にもちゃんと要件があるんだけど、児童相談所の場合、そういう手順も踏んでいない。もっぱら家庭裁判所の権限と称して、完全に親権が剥奪されている状態です。だから「親権侵害」を理由に国賠訴訟を起こしたわけです。
金銭請求という形をとっていますが、金をもらえればいいかと思っているわけじゃなくて、結局それしか方法がないんです。本来ならばこれは国際的なルールに基づいて原状回復をすべきなんです。現状回復とは、子どもが親のもとに戻ってくることです。しかし、原状回復請求が民事訴訟でできない。人身保護請求という制度が一応あるんだけど、入口がものすごく狭くて、普通通ることがない。【法律の問題をもう少し詳しく解説】
そういう制度的な不備の中で唯一警鐘を鳴らすという方法としては、国家賠償訴訟しかないということで松島さんの事件ではそう定義しました。ただこの松島さんの事件がある意味で特殊なのは、それに先行して静岡地裁で証拠保全を決定していることです。【これをもっと詳しく解説】
普通、判断する裁判所も公務員で、公務員は公務員をかばいます。
ところが国家賠償を起こす前に、静岡地裁は児童相談所に対して明確に証拠保全決定を出してる。【証拠保全決定の意味合いを詳しく解説】
証拠保全決定の要件としては証拠改竄のおそれがあること。ですから、証拠を隠滅するおそれがあるということを疎明しない限り、証拠保全決定は出ないんです。ということは、静岡地裁の判断は児相が証拠を隠滅する、改竄するおそれがあるということを認定したが故にやっているわけです。
そういう意味では、証拠保全決定も出て、提出された開示された証拠を吟味して国賠訴訟を起こしているわけですから、伊達や酔狂や推測で起こした訴訟じゃないということです。
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