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児相の言いなりになるマスコミ

★児相の言いなりになるマスコミ

松島 こういう状況にもかかわらず、今の権利ではできないことがあるから、さらに強い権限をくれと主張しています。児相はつねに「児相の権限が弱いから、子どもが救えなかった」といったキャンペーンをメディアを通じて行なっています。マスコミもそういう児相の言い分をそのまんまたれ流すだけですよね。
 私たちみたいに「児相の被害者」と言っているような存在には取材しておきながらも、最終的には児相のクレーマーみたいな扱いをします。こういうクレーマーがいるから児童相談所がまともな仕事ができないといった角度で取り上げられたりします。ほとんどというかすべてのマスコミはそういう方向へ話をもっていってしまいます。
内海 この話を最初に聞いたときに信じられませんでした。そもそもこんなことはテレビや新聞でもまったく伝えられていない。だから、ほとんどの国民がまったく気づかないままです。
松島 児相が強大な権限を持って、それで児童虐待とか虐待死とかを防いでいたり、減らしているなら、まだ納得できますが、事実はその反対です。
 彼ら児相は強大な権限を持って、結局、虐待死とか虐待で失われてる幼い命は守られず、健全な家庭をぶち壊してるだけなのです。
 もう彼らにこれ以上権限なんかあげたって、被害を受けている児童も絶対守られません。
 そのためには彼らにもっと専門的な知識や法整備が必要です。
 私はもともと海上保安官をやっていましたから、自分たちが司法権を持っていろんなことができました。児童相談所なんて、警察ほどのすべての権限は要らないんだけども、児童福祉に関しては司法権を与えてもいいんじゃないのっていうくらい。だって、人の家に入るのだって、警察官連れてったりとか、タイアップしなければ児相職員だけでは何もできない。彼等は捜査ってのはできないから、調査しかできない。で、それをいいことに、彼等は虐待を判定する機関じゃないとかって堂々と私らの裁判やなんかの書類でも堂々と書いてるんですね。虐待の認定しなくていい機関なのに、虐待と疑った子どもをバンバン拉致っとるんですよ。【ここまでもう少し整理】
 こんな矛盾してることを平気で彼らはずっとやってきているんです。私は知ってからたった6年かもしれないけど、もっと前からこれ同じようなことをやり続けてきているわけで、やっぱりこの辺の所に法律と実態との矛盾が出てるんだけども、それを公にしないようにしてる。【ここまでもう少し整理】
 家庭裁判所なんかの判決文を見てても、児童相談所は児童福祉の専門的な組織だと書かれていますが、実態はそうじゃないんです。専門家でもなんでもない。ただド素人のオッさんとオバさんがいるだけなのに、彼らが専門家だっていうことを前提にいろんなことが進められていくんです。
南出 子どもの権利という観点から言うと結局、親権の問題と子どもの権利というものを認めるとしたら、子どもはすみやかに家庭に復帰する権利がある。
 本来の子どもの権利というものをもし本当に認めるなら、まずずっと拉致監禁された子どもを家に戻すこと、つまり原状回復が最重要課題です。
松島 そう、僕はそれを言いたいです。
南出 だから、子どものほうも初めから孤児であったという不幸な状況なら仕方ないけれども、ボタンの掛け違いで一時保護にされたとしても、これを必ず元の家庭に復帰させるという当たり前の権利すら侵害されている。だから、子どもを代理して子どもの要求を裁判に訴えているんです。
 一時保護の運用から考えると、厚生労働省の一時保護に関するマニュアルの中では、「必ず親の承諾を取れ」と書いてある。松島さんの場合、親の承諾なしに学校から連れ去ったんですよ。そのことを児相に訴えても、児相側はそれも一時保護として適法だと主張するわけ。
 例外を認めるとしても緊急事態だったとか、あるいはそれ以外の方法が取れなかったという緊急性、補充性の要件を満たさないと、親の同意なしに一時保護処分をすることはできないというルールがないとおかしいんですよ。児相のマニュアルには親の承諾が要るって書いてありながら、今の運用はほとんど、親元に行って強制的に連れてくぞと脅迫して、ほとんどのケースは学校から連れ去るんですよ。
 こうやってあちこちで権利侵害しているわけだから、子どもの権利とか親の権利とかを語るだけの資格がそもそも児相にはないんだよな。

内海 先生が言うように子どもはまだ未成熟だということについては異論もないんですけれども、そもそも子どもの意志を踏みにじっているところが児相の最大の問題点ではないでしょうか。「親の元に戻りたい」とか、もしくは本当に虐待されていれば「親のそばにいたくない」というふうな判断ができると思うんです。最もその基本的な当事者の立場で考えたら、そここそが本当は児童相談所が守らなきゃいけないことであって、それを破っているのが問題ではないかと思うのです。
 先程、たとえば売春してでも私たちは稼ぐ権利があるんだみたいことを言ってますけど、多分そういうのって、本当に権利の曲解ではないかと思います。
 僕らの権利というのは、どんどん肥大化するという意味もよくわかるんですけど、やっぱり最も基本の核となる所は生存とか生きるとかですね、そういう話になって来るんじゃないかなと思うんですよね。売春とかそういう話、別に性生活とか社会上の問題であって、そういうことに対する権利の話をどんどんやっていくと。【ここをもう少し整理】
南出 今の人権論と称する議論というのは、もう際限がない。だから、僕はそれのアンチテーゼを言ってるんであって、なにも子どもの権利それ自体を全否定してるわけじゃない。
 自分の持っている権利意識、要するに現代人権論的な人権という認識に僕は立ってないということからのギャップだと思うんです。だから、大きな違いはないと思いますよ。
内海 さっきの児相の話に戻せば、子どもが生存したり生きていくためには、親の元に居て、育てられるのが一番道理に合ってるわけです。また、虐待されて本当に死にそうになってれば、そこから離れることが最も生存的なわけです。そういうことを決める権利っていうのは、たとえ未成熟であっても存在するんじゃないかということが言いたいわけで、社会的な話で広がっていくというのはちょっと別に考えていくべきというのはありますね。
南出 松島さんの場合も一時保護の理由の中に、児童相談所側は「命の危険がある状態である」ということ言っています。
内海 それは証明のしようがないですね。アザがあったというだけでは……。
南出 そのとおりで、「命の危険がある状態」をどうやって認定するのか。僕はそこが肯定されたら、子どもを隔離しなくてはいけないというのは当然の子どもの権利だと思いますが。
内海 逆に言うと、子どもが本当に自分で死にそうだと思えば、逃げますよね。しかし、実際は松島さんのところに帰りたいって言ってるわけですよね。だから何をもって「命の危険がある状態」としているのかということです。

松島 たとえば、施設で「家に帰りたい」って職員に泣きついたら、多分怒られるんですよ。だから、そういうことは施設で言えなくて、通っている学校で保健の先生とか担任にいうんです。
内海 施設側に洗脳とか強制があるということですね。
南出 現に施設内虐待ってたくさんあるんです。僕の担当した事件の中でも一時保護でさらわれて、その後、施設内で保護士が子どもが泣き叫んで言うことを聞かないからと言って、殴ったというのです。それで怪我をしてしまった。そうしたことを施設はひた隠しにしていたんですが、結局親にバレてしまったもんだから、それを親に謝りにいって、実際その施設は略式だけど裁判でちゃんと罰金刑になっているわけです。
 つまりそのケースでいえば、児童相談所側が施設内で虐待している。親に虐待の恐れがあると言って一時保護をしておきながら、児童相談所が虐待をしている。
松島 もともと虐待は家庭内で起こっている事案がほとんどです。当然、子どもと親(親権者)の間で起きていることです。危険を回避させるために一時的に保護して隔離することを仕方ないと百歩譲って認めたとしても、本来その後に親と子の関係性自体を直さない限り、問題の本質は何も解決しないんです。問題はそのまま残されて、親と子が隔離したという状態があるだけです。
内海 児童相談所の名目で言えば、親を教育して関係性を修正したのちにすぐに子どもを戻せばいいという話になりますよね。しかし、そういうことをしないわけですよね。
松島 まったくしていませんね。隔離をどんな根拠でやっているんだというと、法的な根拠というのは一時保護で引き離すところの部分しかないんです。その後も親と子どもをずっと隔離しなければならないなんていう取り決めは法律上もどこにもないですね。
 ということは、法的な根拠もなく児童相談所の考え方だけでずっと隔離を続けてるわけです。これは所長の権限だけです。結局、法的根拠もなしに、全国各地で虐待を疑っただけで子どもを引き離すだけ引き離しといて、親が児相の言うことに従わなければいっさい会わさない、帰さない。
 そのうえ、「虐待を認めるんだったら、少しだけなら会わせてやるぞ」というような司法取引的なことを平気でやっています。

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